帰省

私というアイデンティティが崩壊してしまう。
それはひっそりと静かに音も立てず、しかし確かにやってくる恐怖。

25にもなればそれなりに、自分とはどういう人間なのかということが見えてくる。
たとえ明日になれば正反対のことを言ったとしても、今それをするにあたっての理由、あるいは生き方といったような形而上的理念を持っている。
自分の行動を客体として捉えられている。
自分のことは自分が一番よく知っている。


私なぞ、つい数ヶ月前まで、親のすねをかじりたおして一人暮らしのひとつもしたことのない純実家暮らし。そのうえ、できそこないのボンクラと世間一般知れ渡っている長男なのである。掃除・洗濯・料理・その他生活の一切を自分ひとりでしたことは無く、そのうえその大半が困ったらママに泣きつくマザコンとして認知されている長男なのである。
それに輪をかけるがごとく体格は滅法小さくやせ細っており、その性格は人見知りで他人の目を見ることができず、四文字熟語で言えば挙動不審、現代用語で言えば「あいつチョーキョドってなーい?キャハハハッ!!きんもー☆」である。
当然趣味は読書である。


このような主体としての私を25年続けてきたところに、突然の東京一人暮らしとあっては、
その先行き、あるいはその結末は想像容易く、私の愛する数少ない身の回りの人たちの、私に対する心配、慰み、ニートでもいいから帰って来い等の諦めにも近い言葉さえ、誰がそれを否定しえるでしょうか。


ある意味、そういったまわりの心配に満を持して、この連休実家に帰ったところ、私も、そして愛すべき隣人も、ある事実に驚愕したのである。
ここで「驚愕」をwikiで引くと

// 驚愕 身体的特徴

驚きを感じると、眉がつりあがり、目が縦に開かれ、顎が下がるなどの表情が顔に表れる。驚きに対する反応として叫んだり、泣いたりすることもある。さらに、飛び上がる、硬直するなどの全身の動きを伴うこともある。さらに強い場合、気絶する、貧血を起こすなどの場合もある。極端な場合、ショックによって心臓が止まり、死に至る例もある。また、パニックにつながる場合もある。 //

こうあり、なるほど大変なインパクトを持ったものと理解できる。


慣れない東京での生活。その溜まった疲れをまずはとりなさいと風呂に入る。一人暮らしをして初めて知る実家の風呂の広さ、ありがたさに、心も身体も癒されあたたまった後、浴室を出、ふとそこにあった体重計に乗ってみたその瞬間、


「さ、3キロ太っとる・・・」


いやあ、誤解を恐れずに言うと、生まれて初めて「太る」ということを体験した。
どうも顔が、まっるーなってるらしい。
知らない土地で初めてのひとり暮らしに、皆、身体は大丈夫かご飯はちゃんと食べているかストレスが溜まっているだろうと心配していたのに、なんやお前ええ暮らししとんのか!満足か!といった理不尽な罵声を浴びました。
にしても、チビ・ガリ・チョウナンの3拍子そろって僕であるのであって、その前提が崩れてしまっては、いったいこの先どうやって生きていけばいいのか全くもって考えられないので、これはマジやばいなって。